鶴岡紅茶
鶴岡紅茶(つるおか-)は花蓮縣瑞穂郷鶴岡村で生産される全発酵茶、紅茶。
日本統治時代からの伝統的な紅茶の産地で、かつて鶴岡紅茶は台湾で最も有名な紅茶ブランドの1つでした。
まれに瑞穂紅茶と呼ばれることもありますが、隣の天鶴紅茶との区別は曖昧。
品種は阿薩姆種、および台茶8号、ごく一部で大葉種や台茶18号”紅玉”を栽培。
この地で紅茶産業が発生したのは日本統治時代の1940年代に遡り、阿薩姆種を導入して1960年には台湾土地銀行により大規模な紅茶園開発が進みました。1964年頃には台湾東部で初、そして当時の台湾最大規模の製茶工場が建設され、台湾に於ける輸出品の中核として紅茶生産が始まりました。
官民一体となり大規模に開発が進められた鶴岡紅茶は、台湾を代表する一大紅茶ブランドとなり、台湾茶産業の発展に大きく寄与しました。一時は子供まで茶摘みに駆り出さないと生産が間に合わないほどの需要があり、1970年代には最盛期を迎えました。
最盛期には20万トンの生産量を誇りましたが、戦中戦後の混乱や国際的な茶価格の下落、経済発展による通貨価値上昇に伴う価格的競争力の低下、茶樹の老化による品質の低下、他産地で品種改良された紅茶の出現により、1980年代になると生産は次第に衰退し生産量は急激に減っていきました。製茶工場が閉鎖されてからも紅茶の生産は続けられましたが、台湾国内でも「鶴岡のお茶はもはや過去の産物」と言われるほどにまでに衰退。
その様な状況で茶農家達はより商品価値の高い作物を求め、柑橘類「文旦」への転作が進んだ結果、茶畑の面積も減少します。
近年では「鶴岡」といえば「文旦」と言われるほど文旦の代名詞的な一大産地になっており、中秋節には「鶴岡文旦」の名前が台湾全国で見ることが出来ます。しかし、文旦への転作が大規模に行われた結果、今度は文旦が生産過剰な状態となり、結果として文旦自体の市場価格の低下を招くという本末転倒な状態に陥っています。現在はかつての茶処のイメージを生かし、花蓮県政府の主導で茶浴のできる宿泊施設(茶葉を浮かべた温泉)を多数建設し、観光業に力を注いでいます。
現在の鶴岡紅茶は、多くがブレンドや増量用、二次加工用(茶葉蛋など)に使われています。
鶴岡紅茶の名称で出荷は続けられているものの、元々平坦な味で特徴に乏しいこともあり、蜜香紅茶や台茶18号”紅玉”といった新しい紅茶に対抗するには至っていません。また、隣の舞鶴茶区(天鶴茶区)で新たな紅茶ブランド「蜜香紅茶」が誕生し、その成功を見て同品種である「大葉種」を導入し蜜香紅茶を生産して売り出す動きもありましたが(一部では台茶18号”紅玉”の栽培も試みられた)、品質の良い紅茶の生産には至らず、鶴岡紅茶の復活には寄与していないのが現状です。